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lifesound

お客様のご感想


最終段階のWebtuningのご感想です。熱田神宮へ参拝された中でご感想を書いて下さったそうです。





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HAP z1esのチューニングについてフェーズ1


まず前置きとして、こちらはライフサウンドさんのお仕事に対する感想としては、あまりにも分かりにくい文章になります。結局のところ、僕の伝えたかったことというのは、どうして生きるのか、なのではなくて、どうして生きられることができているのか、その奇跡が当たり前にあることに対して、好きな音楽を聴く時のように、好きな人とそばにいられることのように、花が咲くように、揺れるように、または枯れるように、同じような気持ちでいられることがとても大切だなってことなんだと思います。

何か良いことを言いたいわけではなくて、素直にそのようなことを考えてしまいました。音楽が素晴らしいものっていう感覚を超えたものを感じてしまうのです。


こんなにも一瞬で今いる場所が変わってしまうような、時空まるごと変わってしまうような、敢えて一般化の言葉と組み合わせのであればこれは次元旅行です。時間と空間の概念だけではこの現象は説明がつかないです。納得出来ないです。納得出来ないですが、とにかく笑顔になれる音です。現象です。


実は物質主義ではない母親にも、HAP-Z1ES のWavetuningされた音を聴いてもらいました。母の聴きたい曲を準備して聴かせたら、その曲に対してではなく、すごい!RADWIMPSの洋次郎の声が優しい!と、そのようにびっくりしてました!そこまでの解像度を聴き取れる母にも驚きましたが、何より嬉しかったのは、その共有した体験でした。この体験は、もう二度と消えないからです。


細かいことは省きますが、様々な事情により、初め、HAPを買うことを反対してました。それは今思えば、通過点として機能していて、、そんな母でもマイナスのバイアスが掛かった状態から、そういう感想が出ること自体に驚きでした。


時系列は前後しますが、セッティング直後の状況を書いていこうと思います。


grace mahyaのlast live DUGの圧倒的実在感は家で聴いてるのではなく、その場にいた皆と一緒に体験してるような、もしくは時空を飛び越えて今現在grace mahyaが目の前で自分の為に楽しそうに演奏してる感情が伝わってくるので、思わず微笑んでしまいますし、友達と一緒に聴いていたのですが、俺らの為だけにこの演奏は申し訳ない!あまりにも贅沢すぎる!と思ってしまうほどでした。


その時のライブ会場の温度まで分かるような、まだまだ音楽というものを何も知らなかった!分かってなかった!という感情を引き出されるような、そしてこの音楽というものを奏でてるgrace mahyaという人間に対して敬意と感謝しかなかったです。ちなみにこれはリファレンスとして店主さんが予め入れてくださったもので、私と友人は初めて聴きました。2人でまずリファレンスから聴こうと思って、再生した瞬間に、もう勝手に顔が笑ってました!2人ではもったいないもったいない!もっとたくさん人を呼んで聴かせないと採算が合わないと意味の分からないことを言ってました。(笑)


でも驚くべき点は多々あるのですが、やはり普段聴いてるTD512mk2がもはや全く別の次元のスピーカーに思えてしまうという点です。もちろんWAVEチューニングされたTD512zmk2が前提ですが、今回変えたのはプレーヤーだけです。それなのにスピーカーからTD512zmk2から聴いたことない音がするわけです。これはスペックや物質的なことで語ろうとするとどこかで矛盾するはずです。でも本当にそうなのだから驚きしかないです。音が鳴っているというよりは、その次元に飛ばされるという感じなのですが。(笑)


普段もSIM AUDIO380Dを使っているのでスペックとしてのDACのレベルはむしろ380D上だと思ってました。事実、私はHAP-1ESを持っていたのですが、音に満足出来ず、売却してしまった過去があるのです。そして380Dに変えて、あまりの自然な音、オーディオ的な論評が馬鹿らしくなるような、ただ純粋に音楽を聴ける喜びを教えてくれたので、長く愛用してきました。380Dのことまで語ってしまうとまたさらに長文駄文になってしまうのですが、敢えて一言だけ言わせて頂くと、380Dが奏でる音楽はどのような音楽も平等に素晴らしく、ロックもクラシックもジャズもアニソンもボカロもヒップホップも音楽に垣根はないし、知ってる曲でも知らない曲でも、それが何も邪魔しない。ただただ音楽を奏でるということです。超然としています。音量が普段聴くレベルの音量でも不思議と普通に声はそのままの大きさで会話出来てしまうので、風にそよぐ木々の葉が擦れる音や波の音のような自然的な音を出しているのだと思います。解像度がどうとかスペックがどうだとかそんなくだらない議論をしなくて済む、僕を価格ドットコムやヤフオクやステレオサウンドなど人からどう思われているのかという世間の評価をあてにしていた最悪な沼時代から抜け出すきっかけとなった素晴らしいものです。


なので、380DとHAP-1ESを比べてどうとかいう話をしたいわけではなく、経緯としてお話させて頂きました。一度は失望し売却したHAP-ZESを、上賀茂神社、伊勢神宮で神様に生まれ変わりたいのでお見守りくださいと全てを変えるつもりで真剣にお詣りさせて頂いた帰り道に、店主さんから連絡があり、なんとその日にHAP-1ESが生産を終了することを決定し、ただ最後の未開封品が1台ならお付き合いのある問屋さんのところに残っていると、もちろん、他にも欲しい方はいるけれどもゆっくり考えてみてくださいと言って下さりました。普段からライフサウンドのブログを拝見してるので、当然!普通のHAP-1ESには申し訳ないのですが、そこらへんに売ってるHAP-1ESとは全く別のものだということは分かっていたので、啓示のようなかたちで(神しくみ)友人の後押しもあり、やはり即購入をお願いしたのですが、様々なトラブルが重なり心労と金銭的な問題、家族間の問題で一度はもうキャンセルするしかないので、何もかも投げ出して店主さんにキャンセルを申し出たのですが、最後まで信じてくださり、正直自分は全て諦めていて持病が悪化して声が出なくなってしまったのですが、友人にそのことを初めて打ち明けたところ、伊勢神宮に一緒に行った友人は何かに目覚め、覚醒をしており、すべては想定内で何があっても全力で力を貸すつもりだったと言ってくれて、「○○○(僕の名前)が伊勢神宮にいる時みたいにパワーがもらえて自然体で無理しないでいられるような場を作ると決めてた」と言ってくれました。いつか必ず全力でお返しをしますが、そのパワーは連鎖し、波及していくものだと最近感じています。自分の欲望、欲求を解消するレベルではなくて、人生の歩む道を変えてしまうような、そんな出来事がずっと続いていく感じです。


以下は散文です。了見の狭い文章を公開するのは、いつも恥ずかしいですが、それもHAPの音を聴いたから出てきたことなので、惜しげもなく、書きます。


例えば時代はよりバーチャルな、仮想的世界をベースで、AIによってもたらされる高度にパーソナライズした、よりリアルに近い幻想によって欲求を満たしていくような未来に進んでいる気がします。そうなると、もはや身体や自己という概念はサンクコストになります。そこで回収されない何かを埋め合わせるものを手軽に享受できる時代が来るとしたら、それはもうグルグル再生回数だけが増えていくYouTubeの動画が評価されるように、内容ではなく再生回数に価値があるというような逆転現象に捉えられるのではないでしょうか。それらは何に還元されるのでしょうか。確かに公平化、平均化されたシステムが多くの人に行き渡るような誰もが享受しやすい手法なのかもしれません。誰にでも欲求さえあれば扉を開けることができる。チャンスがある。これはむしろ危険性を孕んでいる気がします。なぜならシステムの中で逸脱がない檻に自ら自分を閉じ込めるような行為と同義だからです。


本当の喜びは自分の欲求を叶えることではなくて、そこに辿り着くまでの道のりや思いがけないきっかけに巡り逢えた縁そのものにあって、さらには自分の世界観や過去の物語を引きずりながら生きていては絶対に感じることの出来ない、どれだけ自分の頭の中で考えていたことが視野が狭くて馬鹿げていたか、あんなにも生きることが苦しくて辛かったのに、世界そのものの捉え方が飛び越えてしまうような体験、言葉では言い尽くせない衝撃や感動、そういったものがちゃんと「在る」ということが「感じられる喜び、有難さ」、生きててよかったと思える体験が、こんなのもあるよ、こういうのもあるよ、とまるで智慧を教えて下さってるような、でもまだまだこんなものじゃないよ世界は、生きるということは、まだまだもっともっと光や希望が無限に満ち溢れてるんだよって満足するのはまだ早いんじゃない?ってさらなる自分の成長を信じてくれてるような、応援してくれてるような。

それは音楽の力というよりは、音楽を媒介にして、身体や心にエネルギーを送り込んでくれる、大いなる力というか、もっと音楽の枠を超えた大きな存在によって、人は突き動かされるし、安らぐし、癒されるし、誰かに会いたくなるし、自分が自分でいることを信じられるんだなと。

聖典や神話のような、そしてそれは実際に、科学では証明できるわけないレベルで当たり前に存在してるんだなと思わされるわけです。


宇宙船をもっていなくても、人よりも優れた能力なんかなくても、もう既に誰もが持っている素直に感じられる心というものが何より大事なんだって気付かされるわけです。


音楽は鳴り終わらないでずっと初めて出会った頃から、知る前から、人を楽しませようとしてくれている、だから音楽って今更気づいて、悲しい曲の登場人物が次に流れてくる曲でその悲しみの曲すら癒そうとしていて、星と星を繋いで紡いで物語になって、純度が高すぎて、全て光にしかならないことを証明している。どんな不幸もどんな運命も最後は骨になり土に帰り新しい生命の循環に還元されていくということは、


ここに今現在見えて届いている星の光がずっと遥か昔のもので、その星自体は消えてしまっているかもしれないのに、それでもこの目の中に映し出されている光を美しいと感じるのは、ここに心が確かにあるからで、どんな夜も完全な暗闇なわけではなく小さな光が導くように瞬いているということは、下を向いてたら気付かないけど、自分の力で上を向いていくことで気づくということは、やっぱりはじめからずっと知っていて、どうしたら気付いてくれるかなって、向こう側にある光だと思っていたものは、ちゃんと自分の内側にある光で、それはいつも見守ってくださっています。


HAP-Z1ESz1の感想文を熱田神宮の中でとりあえず第一弾として、形になるように編集して投稿しています。

店主さんからRCAチューニングが出来てしまったとのことで、急いで投稿しなければと思った次第です。


第二弾は、RCAチューニングケーブルを使って聴く機会を頂いたので、そこでまた感じたことを書こうと考えています。今は本当にどこにでも売ってるような、どこの家でも使われているような、電化製品としての機能を果たしているRCAを使ってます。それでこんなに高いレベルなので、もうこれ以上があるのか、どうなってるんだこの世界は、、という感じです。


なので、こんな変な文章を楽しみにして頂ける方がもしいるのだとしたら、ぜひお待ちください。

私の周りはトラブルだらけでいつになるかはお約束できませんが。

必ず書きます。


よろしくお願いします。

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