M3Aについて
ヘッディング (小)
M3Aシリーズライフサウンド創造のため
「オーディオ機器は音楽再生を使命としているからこそ存在を許されている」と以前より主張しています。そして当然のことですが音楽再生の質が問われることになります。(オーディオ機器としての命を保つには、感動ある音楽再生を行えることが基本にあると思います。)またオーディオ再生に拘ることが意味のあることなのだろうかと自問自答した時期がオーディオファンなら誰にでもあると思われます。
私もその一人です。毎年、アメリカはラスベガスで開催されるコンシュマー・エレクトロニクス・ショーを訪れた方も多いのではないでしょうか。私も2度ほど交流を兼ねて訪れたことがあります。オープンな雰囲気で各ブースが自分の信じる世界を展開していました。それぞれに主張もあり、成る程と思うことが、それぞれにありました。私にとっても「オーディオという趣味は良いものだ」と改めて思える機会でもありました。
しかし、冷静に振り返ってみると「皆、同じようだ」ということにも気がついたのです。何が同じなのだと言われると「機械的に優れた個性で音楽を再生している」ということなのです。演奏経験がある自分としては、それを超えた世界で音楽を楽しみたいと思っています。
昔「原音再生」なる言葉が呪文のように流行ったことがありました。しかし、これは「うそ」ですね。
録音された段階で原音ではないからです。録音された段階でマイクや録音機材の個性が必ず付加されています。何を持って原音というかといえば録音される前の段階を言うことは何方も異論は無いと思います。にもかかわらず「原音再生」を目指した時期が日本のオーディオ史には存在していたようです。物理的に優れた特性が揃えば何とかなるのではということで、この原音再生に取り組んだ人も多いと思います。
しかし、それは必ず限界が訪れてきます。(音楽再生は機器だけでなく、それが設置される環境も大事だからです。また、好意的に原音再生の意味を解釈すれば録音された情報と寸分違わずに再生するということになるのでしょう。)しかし私には原音再生より「原音楽演奏雰囲気再生」という言葉がぴたりとくるのです。
先の「機械的に優れた個性で音楽を再生」しているということを、さらに発展成長させると「原音楽演奏雰囲気再生」になると信じています。しかし、ここで気をつけなければならないのが録音現場に立ち会っていない者が「原音楽演奏雰囲気再生」が出来るのかという疑問が生まれてきます。
それなりの雰囲気とは何かということであります。これは難しい問題です。それではということで取り組んできたことが楽器の音、人間の声の発生を知るということであり、演奏者や楽器製作者の考え方を知るとことです。また録音エンジニアなどの個性も理解することでしょう。
また同じメーカーの楽器でも奏者が違えば音の違いがあります。私の場合は恵まれていることに自分で楽器を演奏した経験があるので、それが参考になっています。またギタリストでいえばアンドレス・セゴビア、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、ナルシソ・イエペス、レオ・ブローウェル、などの世界的名手の演奏を身近で聴いている経験があるのでこれらが大いに参考になっています。(クラシックギターを参考にした例ですがピアノ、バイオリンなども同じように経験することが出来ますね。)
こうして得た経験が「原音楽演奏雰囲気再生」の一歩となり、「コンサート経験」をすると、さらに「原音楽演奏雰囲気再生」がさらに確実のものとなるでしょう。このコンサート経験ですが、演奏する側として、聴衆側としての両方を意味します。
ホールやスタジオなどの癖を知っておくのも経験になります。ホールだから全て良いというとはありません。座席位置やホールの形状の違いで感動が異なります。スタジオで録音されているものは、ホールでの録音とは異なるものがありますね。
ホール録音と比較すると高さ方向や空間的広がりを感じにくいということがあるように思います。さて次にオーディオを設置されている場所、つまりリスニングルームを如何なるものとして認識することが大切になります。「録音された情報を聴く場所」、それとも「音楽が演奏される場所」とするかで変わってきます。 録音された情報が再生される場所ではなく、演奏される場所と認識することで、取り組み方が変わるのです。
「より良い演奏のために何をするべきか」ライフサウンドが取り組んできたことがまさにこのことであるのです。さらに演奏者や作曲者の意図を知ること、また、自分が感じることを素直に見つめることも大事な要素となります。同じ演奏を聴いても、印象は様々にあります。百人十色といっても良いかもしれません。しかし、そこには共有できる感動もあります。
この共有できる感動、この感動は何を意味するのか?オーディオの再生次元の向上を望む根本には、この共有できる感動の意味を解き明かし、そこに関わる自己とは何者であるかを理解、確認しようとする行為に自然とつながるのではないでしょうか?
演奏者の個性を、演奏を通して理解しようとする、あるいは作曲者を理解しようとする試みは他者への関心と言うことであり、他者を理解しようとする行為を通じて、自己というものを発見することになるでしょう。結局、自己に内在する多層に存在する価値を発見していく旅と言えるでしょう。
その為に、これまで数々の機器やアクセサリーを紹介してまいりました。またその要求に応えるべくケーブルの開発、製品化も行いました。より良い演奏を可能とし感じ取るために、音響空間改善に不可欠な神木社のマッピンゴシステムやマイナス・イオン・ディスクをご紹介しました。そして、さらにそれらが有効に働き、機械が鳴っているという認識を超えるため何方にもお手軽に原音楽演奏雰囲気再生実現を可能とするために開発されたのがM3Aシリーズです。
これらの製品の出現で、音楽を通じて心の多次元宇宙への探訪の旅がさらに可能となるでしょう。